「小学生で島を離れ、サッカー選手になるために全てを捧げた」少年ムサシものがたり

「小学生で島を離れ、サッカー選手になるために全てを捧げた」少年ムサシものがたり

八丈島を離れ、プロサッカー選手になるまでの道のり

恩師が書いてくれたものです。

 

★風雲編

どうすればプロになれる?


2001(平成13)年4月、私は転勤で八丈島へ赴任した。太平洋に浮かぶこの島は平和な時間が流れていた。地元の人たちと交流を持ちたいという思いから、地域の小学生のサッカーチームのコーチを引き受けた。

 

その少年は当時10歳、小学4年生だった。チームのコーチは総勢8人。新入りの私は5、6年生コーチのアシスタントとなった。

 

 練習は毎週土曜日。その少年は別の練習グループだったが、プレーは異彩を放ち、尋常なレベルではなかった。私は次第に少年の存在が気になるようになっていった。

 

 そんな気持ちを察するのか、少年も私に話しかけてくる。あるとき「将来プロになりたい。どうすればなれる?」という率直な質問をぶつけられた。「練習すればなれる」。このありきたりなやりとりをきっかけに2人だけの居残り練習が始まった。

 

 完全なるエコヒイキ、チームの指導者としては失格だ。2人だけの練習がエスカレートし、平日の早朝練習も始め、他のコーチから注意されたこともあったが、少年の情熱に真剣に向き合いたかった。妻や上司からもたびたび「やりすぎ」と言われたが、聞く耳は持たなかった。

 

 雨で練習が中止の土曜日や日曜日は、私の家に来てサッカー談義に盛り上がった。33歳と10歳が同等レベルで話をする。妻はあきれていた。

 

 この少年に、わずかではあるが自分の経験を伝えたかった。自分にできなかったことへ挑戦してほしかった。

 

 少年の表情はいつも真剣。目にはお星様がキラキラ輝いていた。人生のターニングポイントは、何気ない会話からやってきた。

 

 少年は高校から東京に出て帝京や市立船橋に行きたいと希望していた。本土に親戚もなく、中学まではこの島で送るのは当然で仕方がないことだというのは、私も充分理解していた。にもかかわらず、なぜか非常にくやしい感情に包まれ、それを抑えることができなくなった。

 「高校生になってからではもう遅い!」

 

 気がつくと、私はこんな言葉を発していた。妻からは「思いつきの発言は無責任でしょう」と、とがめられた。少年の天性の実力、センスを世に知らしめたいと強く思った。それゆえにこの大器が中学時代の3年間を島で過ごすことが正直「くやしかった」のである。

 

 私の無責任で大人げない発言は少年の心を傷つけたに違いない。翌日、様子をうかがいに少年の自宅を訪ねて、驚いた。

 少年の母親が「息子がとんでもないこと言い出した」というのである。

 

受験だけはさせるから、目を覚ましなさい! 

「お母さん。中学から東京へ行きたい。高校生からじゃ手遅れになる」

「そんなこと言ったって誰と行くの。行けるわけないじゃない」

「一人で行く」

 こんな親子のやりとりが数カ月続いた。1週間、2週間、1カ月、2カ月が経っても少年の情熱は消えない。むしろこの「しつこさ」は見事なほど。目を輝かせながら「行きたい」と訴えてくる。

 

 どうにもならない状況は運命ではあるが、なんとか希望を叶えさせることはできないだろうか。私も責任を感じていた。何かいい方法がないか…。

 アイデアが浮かんだ。

 日本のトップレベルのチームを受験してみれば、現在の自分の位置、すなわち「己のレベル」がわかり、納得できるはずだ。それに今後のトレーニングの目標も明確になると考えた。

 

 どうせやるなら日本一のチーム。関東では千葉県柏市を本拠地としているJリーグチームだ。ここの小学生チームは毎年、全日本少年サッカー大会のベスト4に残っており、この年も全国3位の成績を修めていた。

 

 調べてみると入団テストは毎年何百人も受けるが、1人も受からないこともしばしばらしい。現在所属している子どもより力が上でないと合格させない方針という。気持ちが燃え上がっている少年に、現実を知ってもらうには持ってこいだ。チームのレベルや練習内容を調べた範囲で少年に伝えてみた。

 

 話が終わると予想通り「受けるだけなら平気かも。お母さんに聞いてみる」と飛んで帰った。

 その夜少年の母親から電話があった。

 

 「今度の誕生日プレゼントの代わりに受験だけはさせて、目を覚まさせます」とのことだった。が、この時、私の中で何かが発火した。建前は「受験させてあきらめさせる」だが、心の奥底では違っていた。「合格してほしい」という気持ちに火がついてしまったのだ。

 

 半年が経過した02年8月。ついに03年度入団セレクション募集が始まった。事前に応募はがきを準備し、募集初日に少年の家族に記載してもらって発送した。絶対に「1番」と確信したが、柏から届いた受験番号は「8番」。ここでも離島という距離感を感じた。

 

 少年の父親から「息子の受験の付き添いをお願いできないか」との依頼を受けた。即、快諾。最初から一緒に行くつもりでいた。私も受験生モードである。

 

 試験は10月。半年間のトレーニングでの成長は驚愕ものだった。テレビやビデオでみたプレーが見よう見まねで出来てしまう。恐ろしい吸収力だ。ただ者ではないオーラを日々感じていた。

 

 出発前夜、少年の家で壮行会が開かれた。前夜にしてこの落ち着きよう、肝も据わっている。私の方が緊張気味だ。少年は「楽勝だよ。合格してすごいって言わせてやる」と息巻く。両親は「世間知らずの馬鹿者、思い知ってこい」。和やかである。弟と姉はお土産の依頼。妻は私と少年の2泊3日の旅行が心配のようだった。

 

270人が17人に 第一次試験突破!

出発の日はやってきた。少年と私の家族が空港まで見送りに来た。最後に少年とお父さんが言葉を交わす。

 「負けても泣くなよ」

 「絶対受かってくる」 

 昨夜と同じような会話を交わし握手する。父の手には「ガンバレ、負けるな」という、想いがぎっしり詰まっているように見えた。      

 試験当日。小雨のぱらつく天気。受付時間やウオーミングアップを考えて集合時間の1時間前に会場に到着した。そして私たちは顔を見合わせて絶句した。

 

 「なんじゃこの人は」

 すでに200人以上の列である。受験者は小学5年生なので全員が保護者同伴だ。この時点でライバルはおよそ100人。普段、人の少ない島では祭りや運動会でもないとこれだけの人は見かけない。さすがの少年も驚いたようである。

 

 受付時間が終わり、最終的に受験者は270人になった。例年よりやや多いことがまわりの会話からわかる。3年連続で受験する子もいるらしい。ある意味、大学の付属小学校に入るのと同じ感覚だ。ここに入団できれば高校や大学も推薦で入学できる確率は上がるし、うまくいけばプロ契約だ。

 

 ざっと400人ほどが見守る中、新6年生入団試験は始まった。この日は午前が1次試験、午後が2次試験だ。

 

 1次試験はミニゲーム。少年の得意分野のひとつである。保護者の気分で見ているが、まわりの会話も気になる。昨年は合格者がゼロだったらしい。受かっても1人か2人だ。集中して試験を見ることができない。

 

 いよいよ少年の出番だ。希望に満ちあふれていた彼の表情を見て、私の中では、「心配」より「期待」が上回った。そして、

 

 「行けー!」

 

 心の中で叫んだ。

 少年のレベルは突出していた。

 「こいつはすごい」。

 結果を待たずに1次試験合格を確信した。

 結果発表。当然合格である。270人いた受験者は、なんと17人になっていた。

 

 「あっ、そうなんだ…」

 合格はしたものの、驚いた。

 2次試験まで1時間足らず。他の合格者は家族で弁当を広げている。「しまった昼めしがない」。あわてて近所のラーメン屋に飛び込む。2次試験を考えれば食べないという選択もあったが、「腹が減ってはイクサはできぬ」。『軽く』のつもりだったが、少年はラーメンと餃子にサービスライスまで平らげた。

 「オイ、食べ過ぎだろ」

 

続く

 

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