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「17歳3カ月でJリーグ2種登録」少年ムサシものがたり vol.9

「17歳3カ月でJリーグ2種登録」少年ムサシものがたり vol.9

  立志編 6 新潟のユースが最強時代を迎えた。少年が高校2年となったこの時代は、一つ上の世代に優秀な先輩が数多く在籍していた。  北信越ナンバー1の下馬評は正しかった。プリンスリーグを無敗で制覇した。初優勝である。 そして、この実力者揃いの中で少年は飛躍的に伸びた。  08年8月22日。少年は17歳3カ月で「Jリーグ登録」(2種登録)を果たした。高校生などのアマチュアでもJリーグの試合に出場できる資格で、少年が最もほしかった資格でもある。  2種登録が決まった日、少年が電話をくれた。電話に出ていつものやりとりをした。 「こんにちは」 「今日はどうした?」 「報告があります」 「いい話? それとも悪い話?」 「いい話です」 ここでピンときた。 「2種登録か?」 「そうです。なんで知っているんですか?」 「知っているはずないだろう。カンだよ」 思い出深いやりとりを今も鮮明に覚えている。 プロ昇格まであと1年。勝負の1年が始まる時であった。  年が明け1月。正月気分が抜けきらないうちにビッグニュースが飛び込んできた。 プロトップチームの3週間に及ぶ高知1次キャンプへの帯同が決まった。驚きである。過去、2次キャンプから練習要員として招集されることはあったが、1次キャンプからの帯同は初めてだ。クラブの少年への期待の表れだ。   続く     ◆『Sparkling MARUSE』購入ページhttps://hachijojimashuzo.store/ ◆八丈島酒造 ホームページhttp://www.hachijojimashuzo.com/  

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「イザ! 新天地、新潟へ。」少年ムサシものがたり vol.8

「イザ! 新天地、新潟へ。」少年ムサシものがたり vol.8

  立志編 5    クラブの移籍と高校生活。少年とお母さんは上越新幹線で新天地新潟を目指していた。希望と不安を抱えての引っ越しである。    新潟では寮生活。親離れでもあるし、子離れでもある。寮の身支度を調え、関係者へのあいさつを済ませ、お母さんは一人東京へ向かった。その新幹線の中での心境は察することができた。窓に映る涙は少年への期待より、心配の表れだろう。    新天地移籍後2日目に少年から電話が入った。  「また病気か?」  と心配する自分とは裏腹に少年の声は踊っていた。  「練習厳し過ぎてヤバイです」  厳しいのがうれしいらしい。懲りないヤツだ。    新潟は歴史が浅い。実績は皆無の状態だ。しかし、そんなことは少年には関係ない。体調面も戻り、今までの不調がウソのように動ける。 サッカーができる楽しさ。この当たり前から少し遠ざかっていた。何でもない練習が幸せそのものだった。 身体さえ動けば、怖いモノはない。それは少年の過去の実績を見れば疑いはない。    技術は日本有数。その実力を証明するのに時間はかからなかった。  すぐさまトップの試合に出場する機会が与えられる。名前は知らなくともそのプレーを目にすれば誰もが覚えてしまう。「あいつかあ~」。目の肥えた関係者の間にそんな声が試合ごとにあふれる。    1年からトップチームで揉まれ、結果を出し続けて秋田国体少年男子にも選出された。  国体1回戦の対戦相手は千葉県選抜。運命を感じずにはいられない。 チーム力は天と地ほどの差がある。案の定、一方的に攻め込まれる。あっという間に5対0。いいところもなく、一人ではどうしようもない。    残り時間もあとわずか…。少年の足もとにボールが来た。いつもであれば、ゲームを組み立てゴールをねらう筋書き。しかし、このときは違った。少年はゴールしか見ていない。強引なドリブル。そして、シュート。ボールは千葉県選抜のゴールに吸い込まれていた。    5対1。完敗だが、一矢報いることはできた。悔しさをチカラにできた瞬間だった。   続く    ◆『Sparkling MARUSE』購入ページhttps://hachijojimashuzo.store/ ◆八丈島酒造 ホームページhttp://www.hachijojimashuzo.com/  

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「ユース昇格見送り。そして新潟へ」少年ムサシものがたり vol.7

「ユース昇格見送り。そして新潟へ」少年ムサシものがたり vol.7

立志編 4   中学3年の冬。進路が決まる時期となった。  ユース昇格者発表。 柏のクラブが下したのは 「ユース昇格を見送る」との判断だった。    驚いた。確かに今は調子を落としているが、この状態だけで評価されたのだろうか?「いままでの実績は関係ないのか…」。 私自身取り乱すくらい動揺した。しかし、少年は淡々としていた。むしろ新天地への希望を膨らませていた。    少年がユースに昇格しない話は全国に知れわたり、Jクラブはじめ、名門高校など、多方面から声がかかった。    少年はJクラブのみの希望だったため、2チームにしぼってセレクションを受けたが、結果は不合格。「コンディションが戻らない」「技術はあるが走れない、動けない」と評価された。    年明け。いよいよ行き場がなくなった時に、2つのJリーグチームから声をかけてもらった。少年の希望で1チームに絞った。新潟である。    この頃から徐々にコンディションが戻り、普通にトレーニングをこなせるようになってきた。前のように走れるようになった。新潟のセレクションでは、即日合格という結果をいただけた。    今考えてみると、この体調不良も所属チームのユース昇格見送りも全て「運命」だったのかもしれない。    こうして、少年とお母さんとの柏での生活は幕を閉じた。 まさに激動の4年間だった。    新潟に旅立つ前日、少年は我が家にあいさつにきてくれ、久しぶりに夕食を共にした。そこでよみがえったのは、八丈島も含め6年間の思い出だった。なぜか少年の顔が見れない。    心配な気持ち、寂しい気持ち、様々な思いが駆けめぐった。    大した言葉もかけてやれない。伝えたいことは手紙にして別れ際に渡した。そのときの少年の手の感覚が今でも忘れられない。   続く   ◆『Sparkling MARUSE』購入ページhttps://hachijojimashuzo.store/ ◆八丈島酒造 ホームページhttp://www.hachijojimashuzo.com/  

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「エコノミークラス症候群」少年ムサシものがたり vol.6

「エコノミークラス症候群」少年ムサシものがたり vol.6

立志編3   中学3年の時には国内でもさまざまな大会があった。 最初のビッグタイトルは、「日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会」。 所属チームの少年の世代はタイトルに恵まれず未だ無冠である。    この大会に出場するには関東代表8枠に入らなくてはならない。関東にはJリーグクラブが14もあり、その他アマチュアの強豪クラブもひしめく。「全国大会よりも関東予選がはるかに厳しい」と言われている。    少年のチームの下馬評は「下の下」。過去の戦績を見れば当然である。 しかし、関係者の下馬評は覆される。春先から始まった関東予選で、少年は日本代表時の好調を維持した。チームを引っ張る活躍で関東優勝を成し遂げたのだ。    文句なしのMVP。チームの評判は急上昇し、少年の名前も多くの関係者に知れ渡った。    8月。「日本クラブユースサッカー選手権全国大会」が始まった。関東優勝の少年のチームは全国からマークされたが、少年はプレッシャーをものともせず大車輪の活躍をみせ、予選リーグで4得点。1位通過の原動力となった。    決勝トーナメント進出は16チーム。1回戦は5対1、準々決勝も6対1と対戦相手を圧倒してベスト4に。両試合とも自ら2得点を上げた。いよいよタイトルが見えてきた。    ここで休みが1日入った。この休みが少年にとって悔やまれることになった。それまで全力で「走り続けてきた」少年にとって、真夏の連戦は厳しかったが、緊張感が切れない日程が救いだったのだ。    1日休んでの準決勝。   少年の身体は重かった。動けなかった。全くいいところがなく、ミスばかりが目立つ。 そして、無念の途中交代。ベンチで頭を抱え、悔し涙をみせる少年。珍しい姿だった。    1対3での敗戦。3位でこの大会は終わった。    残念だが、4、5月の欧州3カ国の連続遠征で少年の肉体は限界を超えていた。6月に体調不良を訴え、練習中に倒れたこともあった。    精密検査の結果は、「軽度ながらエコノミークラス症候群の疑いがある」との診断だった。元日本代表FWの高原直泰選手も発症した病気で、長時間の航空機による移動などが原因となる。    「疲れがとれない」「走れない」。そんな日々が続いた。指導者の評価も落ちていく。 進学を控えた中学3年の秋。コンディションは戻らなかった。    続く   ◆『Sparkling MARUSE』購入ページhttps://hachijojimashuzo.store/ ◆八丈島酒造 ホームページhttp://www.hachijojimashuzo.com/  

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